終わってくれてよかったNHKドラマ「激流」
母親が学校の教師と浮気している。
今の世の中、ありふれたことなのかもしれない。
当たり前のことだが、それを知った娘は心に深い傷を負う。 少女はいつの時代も多感なのだから。
少女は、件の教師と口論の最中ふとしたはずみで事故死してしまう。
教師には同じ教師仲間の婚約者がいた。 婚約者がいても浮気はするのだ。
これも「浮気」といえるかどうかわからないくらい、ありふれたことなのだろう。
婚約などただの口約束だと言ってしまえばそれまでだ。
その婚約者は、件の教師をかばい事件を隠ぺいするため少女を山中に埋める。
婚約者なのだから、それもありそうなことだ。
少女は失踪状態のまま、20年がたった。
だれも20年前のことを思い出すことはない。少なくとも表面的には。
20年前に時間が止まってしまった死んだ少女には、とうぜん何人かの親しい友人がいて皆それぞれの人生を歩んでいる。
人が20年も生きていれば、それぞれの「恨み」が蓄積されていく。
NHKドラマ「激流」が第八話で終わった。 正直な感想をいうと、「終わってくれてよかった」というところ。
最初の2回ほどは、人間関係の系統図でもつくってマジに見ようかと思ったこともあるが、終わってみればこのブログの冒頭に整理したような「よくあるありふれたこと」が話の本筋だった。
ただ本筋に絡んで思わせぶりにたくさんのわき役が登場し事件が起こるから、何となく複雑で厚みのあるドラマだと誤解(買い被り)しながらつい見てしまった、というところなのだろう。
第八話まで見ても、腑に落ちるところはなかったし、「終わってくれてよかった」という印象は「一応最後まで見たぞ」という長編小説を読了したときの自己満足に近いものがある。
最近はやっている「半沢直樹」とかいうドラマは、漫画チックなまでに筋立てがシンプルでその都度話を落としてくれる。 「現実はそんな単純じゃね~よ!」などと、激流とは逆の突っ込みを入れたくなる。
どっちもどっちな感じもあるが、水谷豊の顔ばかり目立つTVドラマが少し多彩になっていくことを期待しよう。