村上春樹編訳「恋しくて」、途中経過「ジャック・ランダ・ホテル」のことなど。
毎日朝4時前後に起きて、しばらく志摩ちゃん(2歳雌猫)とじゃれてから朝風呂に入り1時間ほど本を読む。
そんな習慣がついてからもうどれくらいになるだろう。
寒い冬にこれをやるのは結構きついが、春からのスリーシーズンには何の問題もない。
最近のお風呂のお供は、村上春樹編訳で最近出た「恋しくて」。
もともと村上春樹の翻訳物は、「ギャッツビー」や「キャッチャー・イン・ザ・ライ」くらいしか読んだことはないが、今回は短編集であることとタイトルに惹かれて出版後すぐに衝動買いした。
短編を第八作まで読み、一つの翻訳短編と書き下ろしが残るところまできた中間的な感想。
正直言って、第六作までは退屈な小説ばかりだった。
感性が鈍く、読解力に乏しいせいだとは思うが、西洋人は何でこういう小説を好むのか、村上春樹もなぜこういうものを敢えて日本語化しようとするのか、翻訳のどのあたりに彼らしさが出ているのか、残念ながら理解するところまではいかなかった。
実のところ、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は村上春樹そのものを読んでいるような感覚もあり面白いと思うが、なぜ村上春樹が「ギャッツビー」にあれほどまで入れ込むのかもよくわかっていない。
しかし、そんな凡庸な感性の持ち主にとっても、第七作目のアリス・マンローの「ジャック・ランダ・ホテル」という短編はとても面白かった。
自分を捨てて若い女と駆け落ち(日本的な言い回しで、この場合適当かどうかはわかりませんが)した元夫を追って、オーストラリアに渡る主人公。
この主人公がふとしたことから、すでに死んでしまった別人に成りすまし、元夫と「文通(これも日本的な恋愛シーン)」をすることになる。
この「駆け落ち」「追っかけ」「なりすまし文通」という流れだけでも、登場人物達の心理的な背景がリアルにイメージできるので、面白さがストレートに伝わってくるのだろう。
舞台やTVドラマの脚本なら、「この筋書きで、俺でも書けそう!」などと妄想を抱いてしまうほど、ストーリーとして面白い。
「駆け落ち」や「文通」などが、日本的な恋愛シーンで一定の共通感覚を抱けるものであることも、わかりやすさにつながっているのだろう。
あと翻訳が一編と書き下ろしが一編が残っている。
もちろん書き下ろしが楽しみなのは言うまでもない。
それも、あのカフカに出てくる「ザムザ」が主人公とあってはなおさらだ。