中勘助を知らずに来たのは、生涯の不覚だったかもしれない!
無垢な子供ごごろ。それはかつて誰にでもあったものなのだろう。
かくいう小生にも、そんな時代があった(ような覚えがある)。
家族や友達、学校の先生との何気ないふれあいや故郷の自然。
その中で時に傷つき、嫉妬を感じ、意気消沈し、感激してきた。
嬉しいにしろ悲しいにしろ、大きな感情の起伏のただなかで、毎日毎日を送っていたような、そんな時代は確かにあった。
(閑話休題)
子供の作文を読んでいると、素直でみずみずしい感情表現に感心することがある。
絵や習字の類でも、この子がこの感性のまま大きくなったら、とてつもない芸術をモノにするのでは?、などと大げさに思うことも少なくない。
しかし、ほとんどの大人にはそういう「才能」が花開くことは無い。
中勘助の「銀の匙」を読んで、みずみずしい子供ごころと大人の豊かな感情表現力が、凡人にはとてもまねできないような高いレベルで見事に調和していることに、素直に驚いてしまった。
こんな世界があったのか!こんな小説があったのか!
大げさに言うと、いろんな本を読んできていても中勘助を手に取ることがなかったことは生涯の不覚であった、かもしれない!
「銀の匙」のほか、岩波文庫にあと2冊あるようなので、しばらく嵌ってみたいと思う。