改めて思う、「心ある道」のこと。
アイフルという会社があります。高利貸のがめつい、京都のあのサラ金会社ですね。
この会社のCMに大地真央さん扮する老舗料亭の女将風情が、「そこに愛はあるんか?」と厳しい口調で弟子の板前を問い詰めるシーンがあります。
この会社が事業をやるとき、なにがしかの意思決定がされるとき、さらには社員一人一人が何かの行動を起こすとき、常に「そこに愛があるんか?」が指針や拠り所になっているとしたら、とてつもなく素晴らしい会社だと思います。CMがホントならばね。
しかし、想像するにおそらく、「そんなことはこれっぽっちもない」が真相だと思います。
ただ単に、アイフル(愛がいっぱい)というCMコピーライターの安易な連想から生まれた薄っぺらな宣伝文句なのでしょう。
私は宝塚のことはよく知りませんが、10代のころから努力を重ねて歌や踊り、お芝居などの芸を磨いてスターになった女性のイメージがあり「皆すごいなあ」と単純に思っていました。しかし、このCM一つで大地真央さんという人が嫌いになってしまいました。
仕事を受けるとき「筋」を大切にしないと!
ここでいう「筋」とは、クライアントの実態、宣伝コンセプトとの相性や乖離、自分がその仕事をやることの価値づけなどですが、大地さんが吐く「そこに愛があるんか?」というあの言葉は、彼女のステータスを極限まで傷つけていると思えてなりません。
おそらく、当の社員さんたちも「そんなつもりは毛頭…」と冷や汗を流すようなCMなのではないでしょうか?
閑話休題
全く関係ない話の枕になってしまいました。
実はこの久しぶりのブログは、「心ある道」のことを考えてみようと書き始めたのでした。
カルロス・カスタネダや彼の師匠・アメリカ先住民ドン・ファンの物語は、1970年代に大ブームとなり、世にあらがう学生や世界を放浪する自分探しの青年、ヒッピーたちの教科書のような存在でした。少し遅れて70年代から80年代にかけて、とっぽいというしかない学生時代を過ごすことになった私も、真木悠介さんの「気流の鳴る音」を入り口に呪術師シリーズを読んだものです。結構真面目に!
カスタネダの著作は、結論がすぐそこに書いてある論文のような構成ではなく、師匠と弟子の対話やかかわりの中でカスタネダ本人が「近代」や「明晰の罠」から解放されていく過程が描かれているので、読むことだけで結構忍耐力が必要でした。そして、そんな本たちは今でも自宅や会社の本棚に置かれています。売られることも捨てられることもなく。
還暦を過ぎ数年、改めて自分の「落とし前」をつけるべきタイミングに思うことは、結局のところ「心ある道」の一言に尽きるのではないか、というような心境になりつつあるのです。
「そこに心はあったのか?」と過去を振り返っても今更詮無いことですが、少なくてもこれから死ぬまでは、常に「そこに心はあるんか?」を問いながら選択し、進んでいきたいと思います。
どこかのゴールにたどり着くこと、結果にだけ価値があるという「意味への疎外」に陥ることなく、その道のりに「心のありか」を問うていくような生き方をしたいと思います。
なんだか「青年の主張」のような締めになりましたが、考えても考えてもそれしかないと思います。
どこに続くかわからないこの道のりを、心満たして歩みつくすこと。
それしかない!いやそれしかなかった!