「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」

小説を読むことはほとんどないが、芥川賞、直木賞などの受賞作や候補作の中で気になる作品をまれに手に取ることはある。
しかしながら、最近読んだのは2年ほど前の「私の男」というわけで、いかに小説というものを読まないのかが分かる。

小説は読まないが、日経新聞の書評欄には毎週一通り目を通すことにしている。
その中で興味を抱いたのが、白石一文の「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」だった。
なぜ日経にこの本の書評が載るのか?
著名な自由主義経済学者の言説に対し、著者が根底的な批判を書中で繰り広げているからなのか。
日経が書評に取り上げたモチーフは、よくわからない。

しかし、書評に釣られ読んでみると、上下刊何百ページという大作を、一気に読み終えることになってしまった。ようするに、それだけ面白い小説だった。

雑誌編集者の主人公は、胃がんで余命いくばくも無い。
自分も東大教授の妻もそれぞれ自分の世界に生きている。とうぜん浮気もしている。
出版社内部のありふれた権力闘争、ジャーナリストとして追求してきた与党有力代議士のスキャンダルと政治の闇、そしてその代議士から実弟の生まれ変わりであると言われ国政選挙に出馬し理想の政治を一緒にやろうと誘われること、裏切り、暴力、セックス…、いくつものドラマが錯綜し展開していくが、最終的にどのドラマにも結末はやってこない。
やがて胃がんが再発し、「必然」としての死を待つだけの静かな時間が訪れる。

時間のことを光陰といい矢にたとえ、英語にも同じような比喩があるが、「突き刺さる矢」とは、過去・現在・未来と一見連続しているように誤解されている時間のことを言っている、と結末近くになってようやくわかる。

すでに死んでしまった子供の声が聞こえ、過去生の生まれ変わりと符合する状況証拠に驚き、未来の自分と遭遇し絶望することなど、不治の病に犯され死を待つだけの現在の中で、「時間」というものを考えざるを得ない出来事が続く。
しかし、結局は過去も未来も幻想で、今という瞬間しか本当には存在しないという確信が本書のテーマのように見える。
今、自分が消えれば時間も世界も瞬間的に消えてなくなる。時の流れを認識する主体の自分が消えれば後に何が残るのか?、子供の頃から繰り返し考え、いつの頃か現実の暮らしの中で当たり前になってしまったことを再び考えさせられることになった。

それにしても、胸に突き刺さっている矢を抜いてしまったら、後に何が残るのだろう?
やっぱり分からない。

これは万人受けするタイプの小説ではないだろう。
「好きな人ははまる、嫌いな人は全く駄目」と、好き嫌いがはっきり分かれることだろう。
ネットの書評の中にも同様のことが書かれていて、直木賞あたりの候補作にはなっても、決して受賞しない典型的な小説だという評価があった。しごく納得である。

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