あったはずの資料が見つからない! 代わりに、こんなものが出てきてしばし「遠い目」になってしまう…
確か本棚のどこかにあったはずの資料。
この週末に必ず発見し、もう一度目を通しておきたいものがあって、乱雑に放り込まれた本棚のあちこちをひっくり返してみた。
しかし目的の資料は見つからない。
タイトルは「パブリックアートは幸せか?」というゼネコン系のシンクタンクがバブル時代に発行した小冊子。
バブルのころは、株や土地だけでなく芸術作品も投機の対象になり、街中のあちこちに前衛的なオブジェの類が次々に作られていた。しかし作られるのはいいが、街の人にほとんど顧みられることなくひたすら前衛的な虚勢で存在し続けるパブリックアート。
アートの立場から、そんな境遇は幸せと言えるかどうか?、というアイロニーを込めた小冊子だったと記憶している。
読みたいときに資料はなくなるものだ。
しかし本棚をひっくり返していると、懐かしいいろいろなものが出てきて、つい「遠い目」になってしまうことがある。
引っ越しの荷造り途中に昔の写真が出てきて、つい手が止まってしまう瞬間のあれだ。
なんと「ティールーム・いわと」という懐かしい喫茶店のサービスカードが出てきた。
何でこんなものが、本の間に挟まっているのだろう?
少年時代の多感な頃(というとかっこいいが)、実はトッポイくてダサい10代後半のころ。
高崎には、「あすなろ」と「いわと」という喫茶店があった。
両店とも高校生OKのいわゆる純喫茶だったが、「あすなろ」はどちらかというと高々、高女系のお上品なお店で、「いわと」はそれ以外の高校生が集まる、やや不良系のお店だったような記憶がある(事実誤認ならご容赦を!)
「あすなろ」ではクラシックの名曲が流れ、「いわと」にはフォークやロックが流されていたと思う。
で、トッポイ君はどっち系だったの?と聞かれれば、喫茶店など軟弱なものに興味はなくひたすら麻雀、パチンコにいそしんでいた。
女の子は苦手なので、硬派を気取っていたというか…。
したがって「あすなろ」はもちろん、「いわと」にもその当時はほとんど行ったことはなかった。
「いわと」で覚えていることは、確かスカイビルという最上階が回るビルの近くにあったということが一つ。
(回っているのを見たことはないが)
そしてもう一つは、ある日バイト仲間のレイコさん(本名も正確に覚えているがここでは仮にレイコさん)から呼び出され、待ち合わせの「いわと」にドキドキしながら行ってみると、なんと店が休みだったこと。
この事態を理解するのに少し時間を必要としたが、携帯とかLINEとかももちろんなく、連絡方法と言えばもっぱら家電しかなかった当時は、こんなすれ違いがあると学校も違うしそのままになってしまうことがあった。レイコさんともそれから会っていない(本当!)。
レイコさんは、ミニスカートからかっこいい足が伸び、しゃがみ込むときにその奥が見えてしまうことなど全く気にしない、流行りのオオカミヘアのお姉さんでした。
「ノルウェイの森」に同じ名前の個性的な女性が登場しますが、何となくイメージがダブルところがあります。
今はなくなってしまった市立の女子校に通っていた1歳上のお姉さんでした。
レイコさんはあれからどうしたのか?
「いわと」が休みだったことは知っていたのか?
休みでよかったのか、それとも…?。
そんなことが頭の中をめぐり、しばし資料探しの手が止まる56歳の秋の土曜日でした。