仕事で富岡に行ったついでに…
少し足を伸ばし、城下町・小幡まで行ってみました。
「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」とかで、関が原~大阪の陣で織田も豊臣も滅ぼした徳川家が、信長直系の親族である信雄を西上州に閉じ込めてしまったのが城下町・小幡の始まりらしい。
江戸時代初期のことで、今でも織田家の庭園「楽山園」や武家屋敷が残り、桜並木に沿って流れる雄川など、当時の名残をとどめている。
仕事途中ゆえ時間が無いので、とりあえず名所とされる場所の近くを車で通り過ぎただけだが、時間があればゆっくり歩いてみたい街だった。やはり、桜の季節が一番なのだろう。
思えば高崎も、三代目の家光に反抗した徳川忠長が島流しにあい、30歳前の若さにして自害した場所だと言う。
中央で何かやらかした人間は、群馬に島流しにあう!
思えば、かの連合赤軍も大菩薩峠の軍事訓練を経て権力に追われ、結局群馬の榛名や妙義へアジトを移し、最後は浅間山荘だった!
群馬という北関東の一角は、「流れ着く場所」にふさわしいのかもしれない!?などと思ってしまいました。ブランド力、全国最低だし!