可愛そうな言葉、「想定外」考。

大地震、津波、今も続いている原発事故。

原発は小康状態が続いているが、根本対策が施されない中で、これから未来永劫に渉って日本はあの魔物に水を注ぎ続ける不毛な作業を強いられるのか?
これじゃまるで、掘った穴を埋めさせてまた隣に別の穴を掘らせると言う、あのナチの拷問のようではないか?
人間は、触れてはならない魔物を得意げに手にしてしまったんだなあ、とつくづく思う。

一連の事象説明の中で、特に原発事故の説明に「想定外」という言葉がよく使われる。

この「想定」という言葉は、しばらく前にワールドカップに臨む日本代表のビッグマウスもよく使っていた。
ビッグマウスが使ったのは、「想定外」ではなく「想定の範囲内」という言葉だったが。

WCは結果マズマズだったので、「想定の範囲内」といっていたプレイヤーに「さすが××、よく状況が見えている」と賞賛が集まる結果になったが、今「想定外」といっている人たちに対しては、厳しい非難が集中している。

「必要なものだから我慢してください」といわれ原発を強いられ、今、強制的ないし計画的に避難しろといわれている近隣の住民にとって、「想定外」という言葉を聞いただけで眉につばをつけたくなるのもよくわかる。
「いろんな可能性を想定し、考えられることについてさまざまな安全策を施しているから大丈夫」といってきたのは、今想定外といっているあんたたちではないか!、ふざけんな!、言い訳言う前に原発止めろ!、というわけだ。
しごく当たり前のことだ。

つまり、今この状況において使われる

「想定外」は、身勝手な責任逃れ

でしかない。

そもそも、この状況で想定外という言葉の使い方そのものが正しいのかどうか?、という根本的な疑問もある。

巨大な津波に対して原発は無防備である、動力として必要な電力が止まったら原子炉は崩壊する、その危険性はこれまで言われてきたことで、国会議員のセンセたちでさえ数年前に国会で議論していたことではなかったか?

つまり、

「想定外」は言い訳にさえならない

のだろう。

迷走を続ける政治が「想定外」の力を発揮して事故を収拾し、福島以降の見識あるエネルギー政策を提案してくれるのは、一体いつのことになるのか?

菅政権に、

「想定外」のリーダーシップ

を期待したいのだが、はてさて…。

「想定外」はいつのまにか

可愛そうな言葉

になってしまったものだ。

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