役人天国が社会を疲弊させ、国を滅ぼす!
相変わらず不人気の安部内閣。
日経の田勢さんに言わせると、不人気とはいえ成立後半年でいくつかの大きな政策を実現し、結構実績をあげているとのことだ。
確かに、防衛庁の省格上げ、教育基本法の改正など、大きな政策は「いつの間にか」達成している。
「いつの間にか」の責任はだらしない民主党が負うべきだが、「美しい国」の骨格は、着々と整いつつあるようだ。
ここ数日「天下り」の規制を目的とする「人材バンク」論争が、与野党の間や与党内でも激しくなってきている。
しかし、3年とか5年とかの期間問題や「人材バンク」の運営に関する議論ばかりで、本質的な核心を突いた議論にはまるでなっていない、ように思えてならない。
この問題の本質は、「役人天国をこのまま放置して、国を滅ぼしていいのですか?」ということにある。
対して、既得権を守るために天下り規制に反対する官僚が寄ってたつ立場は、突き詰めて言えば、また誰がなんと言っても「国や社会はどうなってもいい、かわいいのは自分」というエゴにすぎない!
しかし、東大法学部などを出られた秀才達は、この醜いエゴを賢いオブラートで包み自民党の先生方を丸め込んでしまう。
中央官庁で大過なく定年を迎え、複数の関係財団、団体を渡り歩けば、週刊誌を読むだけの「勤務」でも多額の退職金をその都度いただける、そんな夢のような既得権を秀才達がたやすく手放すはずがない。
子供の頃から「機を見るに敏」だから、彼らは秀才なのだ!
従って、こんな彼らの理屈を崩すためには、役人の倫理観に訴えるとか天下りしにくくなるような機関を設けるとかの小手先の話ではなく、「官僚亡国論」で真正面から突破するしかないのだ。
それが政治のリーダーシップというものだろう。
江戸から明治への変遷は、「武士亡国論」をめぐる戦いであった。
今、明治維新100余年にして、再び歴史を塗り替える議論を巻き起こすべき時が来た。
こういう歴史認識を背景にして、天下り批判をやらなくては秀才達の思う壺なのだ。
統一地方選の最後に県知事選挙もあるという。
群馬の官僚知事を追い落とそうとしている山本さんは、県政改革についてかなり大胆な構想を有しているとのこと。
中央官庁とはステージが違うが、地方でも「役人天国を温存して社会の疲弊を放置するのか否か?」が問われている。
「感動知事」にちょっぴり期待してみたい。
余りえらそうに過激なことを書くと批判が怖い(というか鬱陶しい)んですが、今日はついペンではなくキーボードが滑りました。